FC2ブログ

Kuehn Style Part2

クラシックのコンサート、ネットラジオなどの感想と、子供たちの成長日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不安を煽るリーダーとマスコミ

なんだかムカつく今日この頃。政治家、官僚、外郭団体、マスコミの無能さ加減に。

1.不安を煽る情報抑制
(1)情報が少ないと人々は不安になる、と言うことを分かってないトップ
例えば、誰かが学校や職場でお金を盗まれたとします。捜査段階から外部からの侵入の形跡があり、後にその組織に無関係な人が捕まったとします。

捜査段階で外部からの侵入形跡について公表しないでいると、「実は隣のあいつがやったんではないか?」と皆疑心暗鬼になり最悪イジメ=風評被害が発生するでしょう。では、捕まった後「犯人は捕まりました」とだけ公表したらどうなるでしょう?「この前異動したあいつが怪しい」と噂=風評被害が立つこともあるでしょう。では初動で「犯人はXXの理由で外部の可能性」、捕まった直後「犯人はX月X日に捕まりました。外部の人間でXXの容疑で今XX警察に拘留中。裁判はXXからです」と公表したらどうなるでしょう?捕まった犯人が外部の人間であることを検証可能な情報が揃ってます。疑い深い検証したい人は検証に走るでしょうしそれは可能です。また、多くの人は検証の必要も感じず安心するでしょう。

ということで検証可能なソースをありったけ出すことが風評被害を防ぐ一番の方策だということは明らかです。ソースを出すことで、守りたい人命や財産が損なわれる場合は考慮が必要な場合がありますが、今回の原発事故の場合は、情報を出すことでそこに生活し生産をしている人たちの利益を損なうことはないでしょう。

ただし、正しい情報をぎりぎりまで見極めて出すことがよい場合もありますが、それは先ず一義に情報を出すことで守りたい人を逆に傷つける場合であり、かつリスクレベルが低い場合、もしくは情報を握る側と受ける側が同じ組織にいる場合(人事情報など)に限られ、緊急事態の場合は迅速に情報を出すことが安心につながります。

(2)最悪の状況から逆算したリスク回避という考えが見えない
私はITの会社に勤めてますが、何年かに一度、どうしょうもないトラブルプロジェクトの立て直しに入ることがあります。たいていの場合、仕様変更に対する顧客の要求をマネージャーがリスクを判断せず顧客との一時的関係を優先し受諾し続けたり、一つ一つは報告に至ることのない小さなトラブルが積み重なることにより自分の能力を超える仕事を抱え、結果報告に費やす時間が無くなり、またプロジェクトマネージャーは致し方が無くいい加減になった報告を、疑いは持ちながらもギリギリまでうのみに、もしくは場当たり的判断をし、部下の報告を積み上げた報告を顧客に報告し続け、最後の最後でもうダメです、という事態になってます。

そのようなプロジェクトに入って一番最初にすることは、「現場に入り納期、品質、成果物の観点で現状はどうなっているか」を把握することにより、「予想し得る最悪の状況は納期、品質、成果物の観点でどのような状況か」を想定することです。この最悪な状況と、プロジェクト当初の目標を把握、共有し直すことにより、何をすべきか皆が把握し直すことからリスタートが切れると思ってます。ここで重要なのは前任者のやってきたことをありのままに受け入れ(批判も擁護もしない)、事実だけを見つめることだと思ってます。あと現場に入ることにより、生の声を集めることで迅速な判断が可能になるとともに、現場に安心感を与えることも可能です。

その後は、実現性の観点で次善のゴールを定義しそこに導く計画を立てるチームと、事前のゴールと現状のギャップを評価し、ToDoに優先順位をつけ潰していくチームの2つにプロジェクトを分け、メンバーにはどちらをやってもらうか明確にします。

ここまできたら、顧客に最悪の状況に至らない理由を説明し、次善の策がベストではないが受け入れ可能か交渉に入ります。当然次善の策についてもリスク評価をしコンテンジェンシープランを立案の上、リスクが顕在化した時は即座に想定済みの別な道を選択できるようにしておきます。

ちなみに私の職場のトラブルプロジェクトの場合、大抵の場合現場は悪くなく、むしろ非常によくやってます。ダメなのはマネジメントです。

今回の原発事故でも、現場には感謝しかありませんが、コントロールする側(それが政治なのか東京電力か分からんことも問題ですが)は無能の極み。まず情報を取る(リスク管理の観点で必要な計測を行う、現場に入り生の声を聞いて迅速に判断する)ということが出来ておらず、また、最悪な状況とデータから判明する現状のリスクとのギャップを測ることが出来ていないため、実現性の高い次善の策を立案しておらず、当然次善の策が上手くいかなかった時の次善の策もなく、全てが事が判明してからの対処療法になっています。また、自己批判につながる表現、データは騒がれ出してから初めて出てきている印象です。

2.マスコミの報道姿勢
あまりにもレベルが低い。最初は、金太郎飴のように「直ちに影響はない」という発表を伝書鳩しているだけの姿勢に「何かを隠しているのではないか?」とも思いましたが、そうではなくこのような非常事態でもテンプレートに基づく思考停止な画一的な報道をしているのではないか?と疑うようになりました。

大抵の場合、「1.XXXの発表を要約して伝える」、「2.現場からの記者やプチドキュメンタリー」、「3.専門家の話と結論」の3本立て(2は省かれる場合もある)。まあ1はどこが報道しても変化はないでしょう。なので、3で多様な結論に導くには、2の多様性や3で登場する専門家の立ち位置の幅広さが重要になるのですが、2が通常にならドキュメンタリーとして視聴率が稼げそうな「子ども」、「老人」、「動物やペット」、「名産品」、「苦難に立ち向かう経営者や従業員(プロジェクトX的な)」に終始しており、当然3の結論も「復興に向けて」というわざとらしいがんばろう的なメッセージにならざるを得ない。非常時ならではの視点が感じられない。

そして重要なのは、通常時なら「良い話を外部の目線で皆に紹介し共感を呼ぶ」という姿勢でも良いのですが、いまは「そこにある事実を内部の目線で発信する」ということが必要だと思うのですが、どこの局を見ても前者にしか感じられないこと。従って、「そもそも水やガスはいつ復旧するのか」とか「風呂や歯磨きと言った基本的なことは出来ているのか」とか「避難所は足りているのか」とか「ボランティアに必要なスキルは何か、そもそも今は邪魔なのか」とか、もう少し先かもしれませんが「スーパーやコンビニで買えるものはいつからどこで買えるのか」とか「そのためのお金はさしあたりどうすれば手に入れられるのか」とか「道路は不通でいつごろ復旧するのか」とかが分かりません。

ともかく状況に応じて既存のテンプレートを捨てて構成自体や求められる視点から仕事を再構成するスキルが無いのでは?と思います。変に再構成して自分たちがうそつきになることを怖がっているのでしょう。

結果金太郎飴のような、原発についても中途半端な安心安全を伝書鳩のように伝える大本営的報道になり、復興プチドキュメンタリーを流すしか無くなっているのでしょうね。自分たちは単なる「メディア」=媒介・伝書鳩です、と言ってるならともかく、「ジャーナリスト」=記事提供者を自称してるわけだから笑止千万ですね。

乱筆乱文失礼しました。あー、少しスッキリした。


ACのCMに合わせて挨拶する茜(笑)


木馬に乗ってギッコンバッタン

 

ブログを書くならBlogWrite
前のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。